新型コロナ(COVID-19):一万人の死と引き換えの政府指針

JUGEMテーマ:哲学とか思想とか愚痴とか。

以下、2月25日に脱・反原発団体などへ投稿したメールを修正したものです。

<<前置きの前置き>>

表題の「一万人の死」とは、橋下徹の下記のような言辞が政府と同じ思想だという意味です。

 

2月18日のBS-TBSの報道番組での橋下の言辞は、下記のようなものです。

「政府指針で示されたような「規制処置」を、死亡率曲線のピークを抑えれば医療崩壊を防げる。「抑えても積分値はかわらない(流行が亡くなるまでの死者数は変わらない)けど、医療崩壊を防げるから他の病傷害からの患者を救える、最悪の政治・経済の混乱も避けられる。細かい対策は、もうあきらめ、インフルエンザ並みの1万人の死者は、いたしかたない。つまり、一万人の死はあきらめて、手を打つべき」(当該放送で橋下は、「一万人の死はあきらめる」というようなことを、一度ならず、繰り返した。

 

当記の記事でいう、感染ピークとは、下記のような曲線ピークを指します。

 第4号平成20年9月発行(PDF:529KB) - 京都府

 https://www.pref.kyoto.jp/tango/ho-tango/documents/1221617170578.pdf

 

<<前置き>>

一人で「コロナ、コロナ」と騒いでいて最近気になるのは、「神経質とか、騒ぎすぎ」という声だ。仕事や生活に追われ情報不足で、今何が起こっているのかよくわからないという人には、下記のような記事を見ていただきたい。
「なぜ、あまり実感もわかないことに大騒ぎするか?」のひとつの答えになるかもしれない。
百年前のパンデミック 編集委員・曽我豪:朝日新聞デジタル
https://ceron.jp/u…/www.asahi.com/articles/DA3S14376520.html
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https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2601756203267229&set=a.670202303089305&type=3&theater

100年後の現代、人の交通網の発展と高速化や都市化による人口集積の度合いは、スペイン風邪パンデミック時代とは桁違いに比べものにならないのは言うまでもないでしょう。また、医療や社会体制が進歩したとはいえ、なぜか、こういった危機にたいする体制は進歩に比べて劣化しているのでは?とも言われ続けている。

騒いでいる人たちは、こういった巨大な危機の場合、(実感などともなわなくとも)できるだけ速やかに、(想定外も含む)事態にも対処できる巨大な対策を、コスパなどは無視して、細心の注意を払いながら大胆にやるしかないと考えているのだと思う(少なくとも自分はそう思う)。

例えば、原因不明の事故などで、ため池から水が溢れだしたとしましょう。緊急に防ぐため、溢れ出している箇所には、適量かどうかなど考えたり試したりする前に、可能な限りの土砂とか、土嚢をまず、洩れがないよう細心の注意もはらいながら、大量に積んで止めるでしょう。ため池の堤防が崩壊することを思えば、金とかくだらない自己保身などどうでもいいわけです。まず、断固やる。止まったのを確認したうえで、少しづつ、排水や、積み上げすぎた土砂の撤去を、注意深くやる。

パンデミックが発生したとき、最悪、数百万人とか数千万人が感染し膨大な数の人々が命の危険にさらされる。だから、発生当初から、政治・経済・社会も破綻するような状態を想定し、速やかに完璧に防ぐための手をうち、さらに、やれることは全て全力でやる。

そのぐらいやって、初めて、完全とまでは言わなくとも、感染の被害を抑え、できる限りの命・健康を守ることができるわけです。

そういうのを、「先手先手ということ。」だと考えるわけです。

むろん、こんなことは、一個人だけでは不可能。「自助・共助・公助」が連携されて、しっかりした情報や学問・科学的考察を基礎に、「政府にやれ」って騒ぐわけで、それが「正しく恐れる」ってことだと思うのです。

なぜか現政府のやっていることは、事態をみてから対策するという後手後手のやり方で、彼らはそれを「正しく恐れる」と言っているけど、正しいかどうかは別にして、結果、感染を広げ、人権を踏みにじり、ついに亡くなる人まで出た。
安倍などは、先手先手と言い出すことさえ、ものすごく後手後手。それも、控えて下さいという「飲み会」をやりながら。

すんません。前置き長くなりなりました。

<<< 以下、今回の投稿内容 >>>

情報がない自分には、なんとも判断できないが、自分には「遅すぎる」と思われるイベントや移動の自粛がおずおずと始まった。

ただ、人に自粛を要請するなら、「公立学校の休校処置など、断固やれよ」と言うしかないし、あまりにもずさんな厚生労働省の職員の自らの感染拡大対応をみると、緊急事態といいながら、危機感のひとつも伝わってこない、というか、「言ってることとやってることが正反対である」と感ずる人は少なくないだろう。

*** 25日のコメント(27日の現在、やると言ってるのは北海道だけ)***

どうやら、本日、「感染者のでていない学校も休校検討を」と萩生田文部大臣が表明したようだけど、あの人非人の橋下徹でさえ、学校閉鎖をやるなら今だといってたのが先週だったと記憶する。一週間以上遅れて、それも今日から閉鎖しますではなく、「検討を」という内容。子供達のことなどお構いなし。遅すぎるけど、今すぐやれ!)

病害に加え社会崩壊さえ起こりうるし、それがさらに病害を拡大する負の連鎖で、多くの民衆に生死を伴う多大な惨禍をもたらすことを避けるため、イベントとか外出の「自粛」は当然のことだ。

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例え、後で考えれば、やり過ぎとなっても、この時期、勇気をもって惨禍を未然に防がなくてはならない。
(「自粛で、どうか防げますように」としか言いようがないが、さらにコロナと戦う努力を続けるしかない。)

一方、現政府・為政者の自粛呼びかけは、必要とはいえ、危機感もなく、下々(しもじも)に自粛を呼びかけながら己のエゴ強欲からか、自分達の「自粛」はソロバン勘定しながらというふざけたものだ。

そして、何より憤りを覚えるのは、この「自粛呼びかけ」には、この間の政府・為政者たちの不手際を隠し、さらに、この先も、できるかぎり労力・経費の支出を抑え、犠牲をやむなくとし、その惨禍をできるかぎり目立たないようにしようとする意図があるということだ。

よくいう、「感染ピークを低く」という議論は、逆に言うと、ピークを抑えるが、感染者を救う手立てをネグレクトする言い訳でもある。
自分に言わせれば、ピークを低くしても、死者や重症者の数は変わらないが、政治・経済への影響は最低限ですむという悪魔の論理でしかない。
(あまりにも甘い考えだと思う。そもそも、抑えるはずのピークの高い放物曲線が正しい予測なのか、甘い考えどおり本当にピークを抑えて積分値が変わらない曲線になるのか、誰にもわかない。なのに、「放物線を抑えるということしか方策はない。それ以外の対策は無視します。」
犠牲(橋下徹に言わせればインフルエンザ並みの一万死亡)はあきらめるという論理だ。

だから、以下のような医療イデオロギーがまずキャンペーンされる。
(毎日:2月26日「新型肺炎 「感染拡大」前提に対策 政府、専門家会議受け)
   https://mainichi.jp/articles/20200216/k00/00m/040/145000c より)

「これから考えないといけないのは、重症化や死亡する事例を出さないことだ」
「エッ、今まで考えてなかったのかい」と思うのは当然としても、「軽症化する事例は考えない(軽症は救わない)」ってことになる。
そう誘導して、

「医療機関や保健所がパンクしないよう、軽症者の自宅待機や全例検査の中止など対策が切り替わる可能性がある。最優先すべきは重症者への適切な治療体制の確保」だとし、「(医療機関の)分業」や「個々の取り組み」を訴える。つまり、軽症者については、政府・為政者は何もしない、検査も手を抜きますよ、ってことだ。今まででさえ「全例検査」などやっていなかったことが明らかになっているのだが、さらに手を抜くますと言っているようなものだ。
末端の医療機関、個々人の取り組み、努力はもちろんだが、それはまた、行政や公的機関との連携や支援があって初めて効果がでる。
しかし、そこは巧妙にスルーする。

結果、「風邪の症状や37.5°C以上の発熱が4日以上続いている(解熱剤を飲み続けなければならないときを含みます)」ときは、「特に、風邪や発熱などの軽い症状が出た場合には、外出をせず、自宅で療養してください。」などという指針が、下々に下される。
(新型コロナウイルス感染症対策の基本方針の具体化に向けた見解
 2020年2月24日 新型コロナウイルス感染症対策専門家会議
 「4.みなさまにお願いしたいこと」
https://www.mhlw.go.jp/s…/seisakunitsuite/newpage_00006.html

そして、保険所などでは、軽症者とか非検査対象者(と決めつけられた人)については、新型コロナかどうかの検査を拒絶するという非道なことが情け容赦なく行われている。

事実、上記の「37.5°C以上」という指針のために、38°の高熱が数日つづいても、我慢したり、診療を放置されている例が、続々と報道されている。
ダイヤモンドプリンセスで亡くなった乗客も、高熱が続いたにもかかわらず、検査されず船内に放置され、検査した時点では重症となっており、手当も空しく亡くなった。死者の例をあげて不謹慎かもしれないが「アホか」。「重症化や死亡する事例を出さない」ためには、事前に、「軽症者」や、発症してない感染者を探し出して手当しなければならない。さらには、感染を可能な限りで抑えることが必須なのだ。 亡くなった方は、どれほど無念であったろう。

他にも、膨大な数の感染者、軽症者、重傷者が、検査を拒否され、感染していないとされ、放置されている(隔離もされていない)と言われている。
熱があろうが、せきなどの症状があろうが、37.5°C以上でもつまり、38°だろうが40°だろうが、「重症ではない」と言われて、いったい素人がどうやって自分で軽症と判断できるのか。例え微熱であっても、他の病害などとの併発もあるうるだろう。幼い子供達まで、大人と同じように重症化のリスクが少ないと放置される。
放置されれば、コロナでなくとも死の危険も待ち受ける。放置され、あるいは、別の感染症の疑いもあると病院・通院で感染を広げることにもなるし、そういう事例が毎日報道されている。
これは、あまりにも愚かな愚策であり、「軽症者の救済は考えない」つまり、軽症者に対しては何もしないという(未必の故意による)殺人である。
(コロナを含む病害の)重傷者をまず優先で手当てしなければなるまいが、その体制を維持するためにも、「医療機関や保健所がパンクしないよう」にするためにも、軽症者も、その可能性のある人も、可能な限りで見つけ出し(検査能力の限りでやるってこと。PCR検査以外の検査もできるだろう)、手当てし、さらには、感染者を可能な限りで隔離し、感染を可能な限りで抑える。

今やるのは危機管理なのだ。やれることは全部やる。「後で考えれば『やり過ぎ』かも?」でも、冷静且つ大胆に、やるべき時は断固やる。社会崩壊、一人の人間の死に比べれば、後で「やり過ぎ」など、どうでもいい。それで誰も死なない。健康被害はない。後で誰か文句を言う人がいるだろうか?
いても、平気でヘイトスピーチをするようなチンケな政治的思惑を思想信条とするような連中の戯言にすぎない。恐れるものはなにもない。

だが、このアホウどもは、(彼らが自らの生物的死よりも恐れる)己の政治・経済的破綻の可能性さえ放置しながら、目先の利権・利害を守るために、軽症者放置という棄民施策に突き進む。

上記の「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」指針では、「PCR検査は、現状では、新型コロナウイルスを検出できる唯一の検査法」だとし、「感染症を予防する政策の観点からは、全ての人にPCR検査をすることは、このウイルスの対策として有効ではありません。また、既に産官学が懸命に努力していますが、設備や人員の制約のため、全ての人にPCR検査をすることはできません。」と平然と言っている。
しかし、下記の記事にあるように、日本政府は、PCR検査さえ十分にやっていないことが、明らかにされつつある。

「玉川徹氏 韓国のPCR検査能力1日5000件に「日本の医療態勢が韓国以下のわけが…やってないだけ」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl…
(尚、上記の玉川氏の日本政府の検査実績情報は、政府機関からの情報のようだが、地方の検査数を合計すると、日本での検査実績はもっと多いという情報もある。「だが」というか「つまり」というか、政府は、PCR検査数の把握さえ、おざなりにして、「PCR検査が唯一の検査法」とか、「PCR検査を全員にするのは有効ではない」とか言っていることになる)

そもそも、発症していない人からも感染が広がるという認識のある現在、「感染症を予防する政策の観点」とは、どういう観点なのだ?「勝手に決めつけるな」としか思えないし、「唯一の検査法」ということも、下記のような事実が指摘されている。複数の国で検査キットが開発され使われている。
ふざけるなとしかいいようがない。社会崩壊寸前の今、多くの人の生活、健康、人生、命がかかっているのだ。

「新型コロナ、厚労省が最新検査法を導入しない呆れた理由」
https://www.news-postseven.com/archi…/20200221_1543357.html…

自分達は、感染拡大を抑えるため不要不急のイベントや集会、外出を自粛し、さらに自粛を呼びかけながら、政府・為政者に「甘ったるい自粛でごまかすな、さらに、全ての感染者を救え、感染を抑える手立てを打て、手を尽くせ」ということを、彼らにつきつけていくべきだろう。
自分自身に降りかかる危機さえ見えていない、このバカどもには、「もし、このまま手をこまねいており、自分達を見捨て続けるなら、犠牲となった死者の魂をかけて、ただじゃおかないからな!」と付け加える必要もあるだろう。