メモ:市民運動では内部議論禁止か?

あるメーリングリストでのやりとり。
自分が容量オーバーの添付ファイル付きメールを投稿したメンバーに対して、感情的になって投稿した相手から極めて程度の低い反論メールがあり、それをいさめて、議論をしないでほしいという第三者の方に宛てた内容メモ。
原因は、自分の感情的な投稿。
※下記の記述中、自分の若いころの考えは、かなり不正確。当時は、こうはっきりとした言葉で内部討議の問題点をとらえているわけがない。当時うまく言えないがもった疑問・問題が、様々な紆余曲折をとりながら、歳をおうごとに明確になってきたことは事実。

メーリングリスト管理です。

 

XX様、いろいろお気遣いありがとうございます。

 

TO XX様、皆様

 

今回、自分にとっては、お詫びと反省材料が多い事態になっています。。別途本日送信した『前回投稿した私の「米国によるイラン、イラクに対する軍事侵略反対」のメールに対するXXメール管理人による「警告」への反論』の返信メールをご覧ください。

尚、議論のやり方も含めて、模索する必要はあると思いますが、当メーリスは、議論を禁止した○○メーリスの変わりに「議論をする場」として集まったものと認識しています。また、○○ メールでも、メーリス運用上、技術上の議論はする必要はあると考えております。
技術上の議論は、慣れない方には「ついていけない」方もいらっしゃると思いますが、自分としては、メーリングリスト存続のためにも必要な議論であります。やらなければ、それこそ、全て自分の独断と偏見でやるしかない。(上の「反論メールの返信」にも書きましたが、技術上の判断は、ある程度は自分の判断に重きを置かざる得ず、残念ながら多少は、自分の独断と偏見は避けられません。)
少々乱暴な言い方になりますが、議論の末にケンカ別れになることもあると思いますが、「必要な議論の末、ケンカ程度で別れるなら、それだけのグループなのだと思います。」
IT技術などに疎いし、近づきたくもないし、そんな暇もないという方に、強制することもできません。自分自身、現在農閑期(柿畑の選定作業などがあり、農閑期ともいえません。このメールも、剪定や春の作付けにむけた技術的な挑戦やコメ販売のためのWEB技術の、果てしない勉強や試みの合間に書いています。)で、多少時間があるから、この議論もできますが、来月に入ると、こんな議論などやっている暇がなくなるというのも事実です。
失礼な言い方になるかもしれませんが、高齢で余力がないという方があれば、初歩から経験・勉強する必要があるに当議論に加わってくださいとも言えません。
ですから、「ついていけない」のなら、すみませんが、
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「メール投稿の際、添付データのサイズにだけは注意してください。わからないならメーリスの投稿の際、添付ファイルはやめて下さい。」とだけ、ご認識ください。後は、無視してください。
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しかし、自分自身は、できるだけ技術問題も知ってほしいと思います。ITだのAIだの、鬱陶しい世の中になってきていると思います。しかし、どんなに嫌っても社会は、これなしでは、生きられない生活できない。より若方ほどそうなる。(といっても、若い世代は、自分よりも遥かにIT/AIに詳しいですけど)。技術問題を知らなければ、いくら「IT・AI」を嫌っても、「機械などに使われてたまるか」と思っても、知らず知らずに機械にその背後にある「体制」に使われたり、踊らされたりすることになると考えております。ただ、自分自身も、技術に詳しいといっても、IT業界末端の労働者を引退した慣れのはて、知るといっても際限はなく、かりに天才的な技術者であっても、「技術に使われない」というのは、極めて難しい問題です。
場合によっては、技術に明るいということは、それだけ体制側の土俵にのっかっていることもある。知らず知らずに。
だからこそ、今回のようね議論も必要だと考えております。
反体制運動ではありませんが、開発技術者(といっても、現代では、膨大な労働者が日々進歩・更新されるハード・ソフトの技術開発に動員されているのであり、エリートエンジニアのことではありません)にとっては、特に多数の人員で行われるプロジェクトでは、議論は必須です。しかも、「プロジェクト内部の議論は内部になればなるほど白熱・厳しいものとなる」とよく言われます。むろん、感情的になるのはご法度ですが、人間ですから、感情的なケンカになることもままあります。障害をかけた職業的理想ある。己の労働者としての利害もある。場合によっては命の危険も感じる貫徹作業にもなりかねない。時には、感情的な言い合いやケンカになる。思わず手もでることさえある。手が出るような場合は、さすがに周りは即止めますけど。でも、それでも、ケンカ別れになるということはまずありません。・・・しこりが職場に残るようなことはありますが、大抵は、議論というより、ケンカの仲裁や裁定が、議論そのものを無視した力づくや政治的なものになるためだと思います。
ケンカ別れにならないのは、生活をかけて会社組織という管理下にあるから、といえばそれまででしょうけど、ほとんどケンカ別れになることなどなく、そんな後は、ケンカなどなかったかのように、目的のシステムや機器、ソフトを構築していきます。(ケンカ慣れしてるといえば、それまででしょうけど)。本質的には、会社の管理があるからもありますが、現場の労働者にとっては、安全でいいもの安価ものを作ろうという共通意識があるからだと思ております。技術者であることも理由だと思いますが、合理性が結局勝つわけです。むろん、意見が対立する場合は、どちらかが勝つというより、なにか別の救済策などが議論の中から生み出されることも多いのです。(売上や利益、効率などが優先の企業論理も「合理性」になるわけで、そういう場合は割り切れるものではありませんが、会社にとっては建前とはいえ技術者にとっては真剣な思いの顧客の利益や安全、労働者自身の安全の論理も合理性として議論が戦われます。・・・こんな場合、「妥協・譲歩」という会社論理の勝利になることもありますが、ま、会社組織の中では、雇われ労働者としては自分の責任の限界と、あきらめがつくというか、そういうことは、あります。)
議会制民主主義だけが民主主義とは思いませんが、自分たちは、少なくも、民主主義を支持すると思います。どんな民主主義であれ、話し合い、議論でことを進めるというのが、民主主義の基本だと考えております。まして、鬱陶しい企業論理などが存在しないはずの市民運動などの場では、議論の白熱や利害関係などで、どんなに厳しい状況になろうとも、それを解決するのも議論だと思うのです。
遠い昔、70年代の学生運動などが盛んな世代から少し遅れて生まれた自分は、なぜそんなことに興味をもったのか覚えていませんが、「内ゲバ」なるものを自分で調べたときがありました。社会運動とは程遠い、ド田舎の高校生程度の知識と認識で、体の弱い自分は、毎日運動部でのトレーニングだけが生きがいと興味の対象で、知識も関心も乏しく、調べたといっても2・3冊、そんな件についてかかれた解説書程度を読んだ程度ですが、自分自身は、議論が内ゲバを起こすのではなく、その議論が、極めて政治的に(時には、それこそ、議論を無視していきなりゲバルトで)封殺されたきに、内ゲバがおこるのだと思いました。
凄惨な内ゲバと比較するのもなんですが、福島原発事故いらい市民運動にかかわってきて、XX様がおっしゃるように、一見、議論が高じてケンカ別れにみえるようこともたくさん起こりましたが、自分から見ると、すべて、なんらかの「政治的な」手段で議論が封殺されたためと思えました。
「議論がケンカ別れを生むのではなく、議論が封殺されたときに、感情的なケンカになると思うのです。」
それは、その後、中退になりましたが進学し、多少ですが、当時の当事者の機関誌を読んでみたり、さらに哲学専攻科での参考程度ですが、ソ連の粛清などに関するいくつかの関連書などの勉学・ゼミ議論。中退後の社会人人生でも上に書いたような長年の情報産業での現場体験を通して、より確信的なものになっていったと思います。そして、原発事故以来の市民運動へのかかわりで、そういう考えは、さらに強くなっていきました。
例えば、△訴訟で集まり、このメーリスの人たちが一線を画して別れた一派ですが、自分自身は、この「別れ」の原因は弁護団や□一派などの極めて政治的議論封殺(密室での根回しやメーリングリスト上での、シングルイシューや裁判勝利のためと称する反対意見の封鎖、たただただ政治的思惑からの罵倒と排除工作などなど)が原因だと考えております。